このブログでは、
・韓国が大好きで、韓国コスメやドラマにもハマっているけど
実際に韓国語を習うにはハードルが高いと感じている人
・旅行に行った時に、ちょっとしゃべれたらうれしいけど、教室に通ったり、本を買って勉強するほどでもないかな…
・韓国ドラマが好きで見ているけど、字幕がわかったら、うれしいな
・K-POPアイドルが好きで、ファンへ向けてのメッセージを直接韓国語で理解したい
・韓国語勉強してみたいけど、勉強が続くか自信がないので実際の教室に通うのは悩んでいる
・実際に教室に通いたいが、忙しくて時間が取れない。でもオンラインで時間を気にせず勉強したい!
というあなたにぴったりの
韓国ドラマを字幕なしでも理解できるくらいの
韓国語をマスターすることができる
楽しく着実に♪
という方法についてお伝えしていきます。
閉鎖的な村、みんな知り合い
四国のド田舎、中山間地域にオギャーと生を受けました。
(生まれたのは、市内の病院です…中山間地域は産院なぞありませんので)
3人兄弟の長女、すぐ下に妹、2個下に弟ができます。
気が付いたら、「お姉ちゃんなんだから!」と言われて育ったように思います。
下の二人は、ぼーっとしている私をしり目に、おやつのお菓子を全部食べてしまうような弟妹…
お姉ちゃんなんだから!と言われはするものの、おいしいところはすべて妹たちに持っていかれていたような…(ぼーっとしてますからね)
3歳くらい → 地元の保育園に入ります。
母はほぼ専業主婦でしたが、なんせド田舎なもので、幼稚園なんてありません。
みんなそろって保育園です。
同級生7人。
7歳になり、保育園のすぐ隣の小学校に進みます。
小学校も人数が少なくて…すべての学年1桁の人数で…40人前後くらい
一番少ない学年で4人、多くて9人
同級生も、その親も、その兄弟も知っている、という状況
っていうか、その40人の中に兄弟が何人いて…って話です。
世帯でいうともっと少ないです。
そんな状態なので、教室もガラガラ…ではなく、そこそこ人数はいます。
なんで?
複式学級というやつです。
説明しますと、1年生たちの机のとなりに、少し空間を空けて、2年生たちの机があります。
先生は一人です。
当然、1年生の授業と2年生の授業を並行して、一人の先生が教えます。
1年生を教えている場合は、2年生は問題を解いている。
1年生に問題をやらせている間に、先生は、2年生に次の問題の説明をしている。
こんな感じです。
そして、よくあるのが、先生が同じ教室内の下の学年の子たちに、上の学年の問題が解けるか聞いたりします。
上級生の授業は、下級生組はわからないけれど、自分たちが習った方法で問題が解けたりします。
私が3年生だったある日、先生が4年生の問題を3年生の私たちに解けるか聞いてきました。
4年生の子たちが解けなかった問題を、私ともう1人の3年生の男子だけが解くことができました。
私は、自信満々で答えました。
上級生と同じ問題を解ける自分が誇らしくて。
お昼休み、外で一輪車の練習をしていると、一人の男子が寄ってきて
男子 「お前、生意気やぞ」
強い口調で言いました。
私 「???(何が?)」
何を言われているのか、意味がわかりませんでした。
思い当たることといえば…さきほどの授業の内容くらい
(えっ…どういうことだろう…)
しばらくすると、じわっと涙が出てきて…
(さっきの自信満々に答えた態度が気にいらないってこと?)
周りを見回してみました。
生意気だなんて、言われているのは、私一人。
もう一人の同じように正解を答えた子は、控えめな男子
積極的に自信をもって答えたのは、私だけだった…
その子は生意気じゃないけど、私は生意気…
生意気ってなに??
泣きながら、担任の先生にさっきのことを話しに行きました。
そのあとの授業の始まりに教室で、先生が個人をいじめてはいけないと注意をしてくれました。
しかし、私の中では、〇〇くん(控えめな男子)はいじめられないのに、私は生意気なんだ…
正解の答えを当然のことのように答えただけなのに…
正しいことを言っただけなのに、自信があって答えたら、生意気と思われる…
そんな思い、もうしたくないな…
目立った発言をすると、生意気って言われるんだ
その日から、表面上はふだんと変わらず過ごしていましたが、少しずつ周りを気にするようになりました。
そして、小学校を卒業…全寮制の中学校へ
中学校は、同じ敷地の隣の学校へ進学
同じ同級生と隣の地域2つの小学校の子たちと合流する形で、3つの小学校の子たちが1つの中学校に進学します。
しかしこの中学校、となりに寮があり、全員、寮生活と決まっていました。
寮に泊まる日は、夕方部活動をします。これまた強制運動部活(女子はバドミントンです)。
とはいえ、平凡でそれなりに楽しい毎日を送りっていました。
しかし、中学2年生になった頃、進路のことを考え始めました。
狭い田舎の社会しか知らない私は、高校受験と言われても、どの高校がいいなんてわかりません。(住んでいる地域には、中学校までしかありません。進学のため、ほとんどの子が市内の学校へ進みます。)
友達 「どこの学校に行く?」
私 「うーん、どこがいいのかわからない」
高校に関する情報も持ち合わせていないので、はっきり言って私は、何もわかりません。
どの学校に行けば、いいのだろう?
どの学校がどんななのかすらわからないし。
その話を親にしました。
母親は
「 N高校がいいんじゃない?
いとこのお姉ちゃんもNだったし、
Nに行けたら、お母さんもうれしいな~ 」
ほかの同級生も同じN高校を受けるそうで
自分の学力から言っても、妥当な線なのだったようです。
そのN高に同級生2人と合格し、めでたく地元を出て、進学します。
同級生がいっぱいいる…!初めてがいっぱい
過疎の村から高校に出てきたので、自転車通学も初めてです。
(寮の荷物が重すぎて自転車通学とかは危険なので禁止されていた)
何から何まで初めて!
すべてが新鮮、完全なるおのぼりさん
高校がある市内に引っ越し、そこでの高校生活が始まります。
1クラス40人いて、1年生だけで、11クラスで440人!!
人数の多さに、ドキドキ…友達できるかな…
同じクラスで気の合いそうな子に話しかけられました。
地味な印象ではあるけど、優しい友達ができました。
あたりさわりのない、けど初めての高校生活!!
マンガ大好き、小説大好き…
趣味も合う友達もでき、順調な高校生活でした。
ペンパル?韓国のお友達こんにちは!
当時、中高生向けの雑誌で、「文通相手募集!」とかありました。
「●●(アイドル)について、好きな方。語りませんか?」
「身近に●●が好きな人がいません。趣味が合う方文通しませんか?」
とか。
県外の年の近い女の子と文通をしていました。
見知らぬ場所に友達ができたと思って、お互いのこと、友人関係、趣味のことを話したり聞いたり、結構楽しくやりとりしていました。
何より、家のポストに自分宛ての手紙が来ている感覚が、うれしかったのを覚えています。
ある時、外国の友達と文通することができる冊子を手に入れました。
確か会員制で、情報誌が送られてくるようなものでした。
会費も確か、年800円くらいだったような
英語で文通してみたいけど、英語は苦手…
でも、文通はしてみたい…
できれば、同じ年で同じ女の子で…同じように英語が苦手でも大丈夫って思ってくれる子いないかな? 見た目、白人さんだと緊張するし、英語は母国語だろうし(偏見?)とすると同じ人種とか??
①黄色人種?=見た目が似ている→親近感わくだろう
②英語が母国語でない→英語、少しくらい間違っても大丈夫だろう
という超打算的な理由で相手を探しました。
その時文通相手を募集していたのが、韓国の同い年の女の子だったので、文通希望の手紙を出して、OKの返事が来て…文通が始まりました。
お互いの趣味のこと、学校のこと…楽しく文通をしていました。
相手の使う英語の使い方なども勉強になりました。
韓国という国のことも、当時「近くて遠い国」と時の首相が言っていて、
「ふーん、距離的には近そうだが、歴史的にも色々あって…でも、たぶん行くことなんてないだろうな」
と勝手に思っていました。
当時の私は、今まで家族旅行など、あまり行ったことがなく。親が旅行好きじゃなかった影響もあると思います。
外国なんて行くことないだろうなあ、と他人事のように思っていたのです。
自分の想像を超える世界
楽しそうだけど、まったく想像ができない世界
自分のイメージすることができない場所にいる自分
ですが、英語での文通を通して、お互いの写真を送りあったり、小さなプレゼントを贈りあったり、友人とのやりとりは充実していました。
思いがけないきっかけ、相手の国の言葉を話すということ
ある時、本屋さんでNHKの韓国語講座のテキストを目にします。
そういや、○○ちゃん(文通相手)って韓国人なんだよなあ。
この文字が母国語なのかあ。
〇とか□とか、記号みたいで面白い文字だな
テキストをぱらぱらとめくって見ると、韓国語で手紙を書いてみよう!という特集号で、例文が何種類か載っていました。
「私は、○○と言います。日本に住んでいます。趣味は、映画鑑賞です。」
「家族は4人で、父母、姉がいます。」
NHK韓国語講座のテキストを手に取ったまま、
「 …!! これだ!」
と思いました。
テキストのお値段、当時330円
高校生の私は、うきうきしてその本を買って帰りました。
そして、手紙に英語ではなく、韓国語で自己紹介を書きました。(例文丸写し)
もちろん、今まで文通してるので、相手も知っている内容なのですが…
「私の名前は、○○です。私は、日本に住んでいます。趣味は、映画鑑賞と読書です。
家族は5人で、父母、私、妹、弟がいます。」
手紙を送って、2週間ほどたったある日、返事がきました。
中を見てみると…
「韓国語の手紙を見て、お父さん、お母さんもびっくりしてた!
おじいちゃん、おばあちゃんも、すごいと言っていた!」
と返事が来たのです。(返事は英語)
私は、NHK韓国語講座の例文の内容を丸写し、しただけなのですが…
文通相手の子も、私が書いたような自己紹介文を日本語で書いてお返事をくれました。
「私の名前は、□□です。韓国のソウルに住んでいて、家族は…」(日本語)
「ひらがな…上手やん
日本語できるの???」
たぶん、私と同じように何かで調べて、日本語で一生懸命手紙を書いてくれたのだと思います。
私としては、相手が手紙を見て、少しは喜んでくれるかな?というくらいにしか思っていなかったのですが、思いのほか喜んでもらったことに逆にびっくりしたのを覚えています。
相手の国の言葉を使うことが、こんなにも相手の国の人に喜ばれるの…?という衝撃を受けたのです。
やってきた冬ソナブーム。
高校を卒業し、大学進学…そして、就職。
大学は県内しかダメと言われていましたが、国公立大しかなく
他に専門学校しか選択肢がなくなってきたため
県外の滑り止め用の私立大と県内の専門学校を受けました。
結局、滑り止め私立に行くことにし、県外へ出ました。
真面目に4年間過ごし、就職では地元の村役場を受験します。
そして、合格し、知り合いしかいない地域の小さな役場に
公務員として就職。
公務員が安定しているわよーという母の洗脳
たぶん小さいころからの洗脳が功を奏したらしく
いつの間にか、就職試験の案内を親経由でもらい
志望し、試験を受け…合格しました。
いつしか韓国の子と文通していたことは忘れ、住み慣れた田舎にもどり、
新しい仕事を何とか覚える日々
そんなある日の夜、たまたまつけたNHKで、冬ソナ(冬のソナタ)を偶然見てしまいます。
主人公ユジンと幼馴染サンヒョクが婚約し、幸せなはずなのに、ユジンは昔死んだはずの同級生(初恋の相手チュンサン)に顔がそっくりな仕事相手と接するうち、心がざわつき、揺れ始め…それをサンヒョクに気づかれて…
…韓国ドラマの魅力にはまってしまいました。
先生との出会い
時は、冬ソナブーム。
冬のソナタって韓国のドラマなのか
韓国って…そういえば。
その時、韓国の子と文通していた、あの時の記憶がよみがえってきました。
ハングルで手紙を書いただけなのに、
あんなに喜んでくれた。
違う国の言葉を話す、書くって
その国の人にとったら、そんなにうれしいことなのかな。
同じ時期に、普段行くことのない少し遠い大型スーパーで
友人がフリーマーケットに参加するというので、遊びがてらついていきました。
その時、会場のスーパーの真ん中の吹き抜けの2階から
「韓国語・中国語 教えます」
の垂れ幕が下がっていました。
フリーマーケットの合間に、2階のその部屋(教室)へ行ってみました。
ドアが閉まっていて、中を見ると、どうも授業中のようでした。
数十分後…
やっぱり気になるので、もう一度、その部屋へ行ってみます。
すると、ドアが開いていました。
「あのー、2階からかかっている垂れ幕見たんですけど、韓国語って教えてもらえるんですか?」
「あ、ちょっと待ってくださいね!」
30代くらいの可愛らしい感じのボブヘアの女性が出てきて、チラシをくれました。
「今は、生徒さんは募集していないんですが、次の募集は7月になります。
期間途中での入会者は募集していなくて…」
「あ、そうなんですね。じゃあ7月まで待たないといけないんですね。」
「そうなんです。でも、外国語を勉強して、話せるようになるとすごく楽しいですよ!
韓国語と中国語をここで、教えていますが、興味がありますか?」
「韓国語に興味があって…」
感じのいい、優し気なお姉さんが、熱心に説明してくれます。
あることに気が付きます。
そのお姉さん、たまに「っ」の発音の時に、ちょっとつまるような発音をするのが…
なんだろう?この違和感…???
…もしかして、このお姉さんが先生???
…もしかして、日本人じゃない???
偉そうな感じ(偏見です)のおじさん先生が奥の部屋から出てくると思っていましたが、違いました。
その事務のお姉さんと私が勘違いしたのが、先生でした。
その日は、前回生徒さんを募集したときのチラシ(受講期間、金額などを書いたもの)をいただき、次回募集するときに、チラシを送ってくれるというので、自分の名前、住所を書いたものをお渡しして、ひとまず帰りました。
その約3か月後…
生徒募集のチラシが送られてきました。
教室までは、ちょっと遠いしな…と思ったものの(車で50分くらい、仕事帰りだと1時間30分)、そのお姉さんの人の良さそうな人柄に惹かれたこと、まだ韓国語への興味があったこともあり、その教室に入会します。
先生は、韓国系中国人で、日本人のご主人と結婚して、そのスーパーの一角にある文化教室の部屋を借り、韓国語と中国語を教えていました。
新しいことを学ぶのって面白い!
その教室に入り、週1回、1時間の授業が始まります。
赤ちゃんが言語を学ぶように、イラストを見ながら単語を発音しながら覚えます。
リンゴ…사과 桃…복숭아 という風に`
教室の雰囲気も明るく、教えている先生も楽しそう。
聞きなれない、韓国語の音もなんだか面白い。
文字も記号みたいだし、〇や□、棒…
「しのこりん、とても発音うまいですね!」
簡単な単語、文法…
韓国人になったつもりでしゃべります。
ある時の、夏休み期間中、先生のお姉さん(中国在住)も日本に遊びに来ていて、教室に参加していました。
「桃、5つください(복숭아 다섯개 주새요.)」
私がテキストを見て、しゃべると
「아~복숭아(桃)…」
と先生のお姉さんがつぶやいていていました。
「通じてますよ!」
と、笑顔で先生が言ってくれます。
通じてるんだ…そうなんだ。
そうやって、少しずつ上達していきました。
授業は楽しく、クラスメイトも30代後半のケアマネさんだったり、60代の本屋のパートをしているおば様だったり、50代の英語教師だったり…いろんな職種の年代の人が、同じレベルで韓国語を勉強していました。
どんな立場の人がいても、教室では同じ生徒、おばさまには、「若い子はいいわね…もっと色々楽しい経験をした方がいいわよ!」とアドバイスされたり、「彼氏はいないの?」とか結婚観とか聞かれたり…笑
逆におばさまの結婚に至るまでの、人生ストーリを聞いて、韓国ドラマ??と思うこともあったり。
人生色々ですね…
あっという間に、半期(6か月) が終わり、少しずつ少しずつレベルが上がっていきました。
韓国語を学んで1年が経った頃、その年のGWに休暇を利用し、韓国に行きました。
初めて、韓国の地に降り立つ!:韓国プチ留学
GW期間中だけ開講している語学学校があり、入学することにしました。
留学手配会社をネットで探し、語学学校と宿がついているセットを申し込みました。
手配会社から送られてきた書類の通りに、空港から●●〇番バスに乗って…××バス停で降りて…バス停で並んでいると、前のおじさんが、大学生らしきお姉さんと話をしています。(日本語)
「これから●●〇番バスに乗ります。それから××バス停で降りますね。
そのあと、ゲストハウスまで、一緒に行きます。」
「□□(お姉さん)さんは、大学生?バイト?」
おじさんとお姉さんの会話が聞こえてきます。
(私と同じ目的地!一緒についていけば、同じゲストハウスまでたどりつける!
だまって、ついていくかな…怪しいと思われるかな…どうしよう。
でも、目的地まで一緒だから、あとでバレるなら、今、話しておいた方がいいよな…
どうしよう…)
心臓がバクバク…
(でも、一緒の目的地に一緒に行ってくれる人がいるなら、こんなありがたいことはないし!
あとで、ずっと一緒についてきたよね?って言われるくらいなら…)
「…私も、同じ場所に行きます!」
と勇気を出して、前の二人に話しかけます。
その二人に話かけて、話を聞いていると、初めて韓国にやってきたおじさんが案内役に大学生のバイトを手配会社経由で頼んでいたようで(有料)、私は、ちゃっかりその人に便乗!!した形になりました。
「あんさん、ラッキーやなあ」
と、そのおじさん。
大学生バイトの日本人のお姉さん(韓国料理を学ぶために、こちらの学校に留学している大阪出身の長身の美人さん)と楽しく話をしながら、書類に書かれたゲストハウスにたどり着きます。
ゲストハウスで無事にチェックイン…と思ったら、
「あなたの名前は予約にないよ…」
と言われます。
「????」
意味がわかりません。
手配会社からは、メールでのやりとり、一度電話でやりとりをし、自分の希望を手配会社の方を話をしたきり…あとは、郵便物が届くだけ…
それまでの、手配会社とのやりとりを思い出します。
そういえば、そのあと、手配会社からもう一通、郵便が届いて…
その手紙も縮小コピーして手帳に貼っていたので、それも見ます。
もう一つの宿、ゲストハウスというよりホームステイ。。。?
もしかして、私の予約が入っているのは、ここ??
確かに、その郵便も見たのですが、
・空港からの所要時間がほぼ同じ。
・案内バスの番号が違う…でも、行き方は一つじゃないし。
と思っていたので、同じ場所の違う行き方の説明と勘違いしていました。
同じ宿と勘違いしていたことを、大学生のお姉さんに説明し、お姉さんは自分の携帯で書類に書いてある、本来、私が行くはずだったホームスティ先に電話をしてくれました。
しばらく韓国語で話し…
「ステイ先のおじさんたちが、来てないって心配してたところだったよ!」
私が間違えて、違うところへ行っている間、本当のステイ先の家族(おじさんとおばさん)は、
初めて韓国にくる子らしいが、空港で迷子になっているのではないか?
と心配してくれていたようでした。
こちらでのやりとりをそのお姉さんがステイ先のおじさんたちに説明をしてくれ…
ステイ先まで、バスで来てくれたら、迎えに行くから、ということになりました。
(すべて大学生のお姉さんがやりとりしてくれています。)
一緒にバスに乗ってきた雇い主のおじさんをゲストハウスに置いて、お姉さんは雇われていない私のお世話のため、(私の)荷物をもって、バスに乗り込み、お姉さんに言われるまま、どこかのバス停で降り、ステイ先のおじさんと約束している目印(どこかの町のヒュンダイ自動車の展示場あたり)できょろきょろしていると…
くすんだ灰色の乗用車が乗り付け、お姉さんとその車に乗っているおじさんが話をしています。
お姉さんがこっちこっちとちょっと離れて立っていた私を呼んでくれ、車からおじさんが降りてきて、私の荷物を車のトランクに入れてくれます。
お姉さんと私は、その車の後部座席に乗ります。
「ずいぶん来ないから、空港で迷子になっているんじゃないかと心配してたんだよ」
とお姉さん経由で話を聞きます。
おじさんの話す韓国語も、音は聞き取れますが、意味がわかりません…
「心配だったでしょう?」
と何度もおじさんが言ってくれます。(お姉さん経由で)
私は、なんだか異世界にいるかのようでまだ状況がよくわからないまま
「なんだか、すみません…お世話かけてしまって」
ペコペコ頭を下げながら、日本語でつぶやいたのでした。
ああ、偶然とはいえ、語学堪能な大学生のお姉さんがいてくれてよかった…
一人で韓国の街中で迷子にならなくて本当によかった。
本当に心の中で、思いました。
お姉さんとおじさんのおかげで無事にステイ先につきました。
事の顛末を話し、お姉さんがステイ先のおじさん夫婦にまた韓国語で説明してくれます。
ステイ先のおばさんも心配で料理ができなかった、といって、ジャージャー麺(元は中国料理らしいが韓国では出前料理で有名)を出前で取ってもらい、お姉さんも一緒にジャージャー麺を食べ、その頃には、外は真っ暗になっていました。
丁重にお礼を言って、お姉さんとお別れしたのでした。
次の日、同じ語学学校で同じクラス(初級者クラス)の昨日のゲストハウスのおじさんに昨日のその後の話をします。
「あんさん、本当にラッキーだったねえ…」
お金を払ったのはおじさんで、たまたま出会った迷子のお世話をしてもらい…
おじさんは、おじさんで、ゲストハウスの主人に親切心で、近所を2時間ほど歩きで説明して連れて回られたらしく
「市中、引き回しの刑にあって、えらい目にあった」
と報告してくれました。
そのおじさんとは、学校帰りに、演劇を見に行ったり、一緒に海鮮チゲ食べてお酒飲んだりしました。
その、おじさんとは今でも交流があり、その後、数年後に一緒に韓国に行ったりもして、今でも、仲良くしています。(今は年賀状くらいのやりとりですが…)
やる気があれば、なんだってできる!自分の可能性にトライ!
韓国語学習も引き続き学習しながら、
韓国にもプチ留学もしたし
女一人韓国旅もしたり
その後、テコンドー(韓国発祥)に出会って
習いだしたりしました。
テコンドーは、入会した道場を通じて
師範の師範の道場(埼玉)に出稽古に行ったり、
東京都大会に出たり…中四国大会(広島)に出たり。
異業種の異年齢の道場仲間と仕事の話をしたり、飲んだり、
普段の生活では出会えない人に
出会える経験をたくさんしました。
韓国語を習いだしてから、
自分に自信がつきました。
よく、なんで英語じゃないの?
なんで韓国語なの?
自分が習いたいと思って
韓国語を習った。
近くて遠い国と言われていた
韓国を知りたかった。
習いたかったから、習った。
やりたかったから、やった。
旅行だって、一緒に行ってくれる人を探していたら、
韓国には、今も行けなかったと思う。
やればできる。
できないと思うのは、やろうとしてないだけ。
私は、どこへだって行けるし、なんだってできる!
そう、思いました。
なんだかよくわからなくて、
親の進める方向に進んできたけど、
韓国語をきっかけとして、
自分で楽しいと思うこと、
やりたいと思うことをできて
初めて、自分で自分の人生を選択し、
自分の人生を生きている
と思えた。
心から楽しいと思って、世界がひろがったこと
韓国語に触れることがなかったら、
海外に行く勇気すら出なかったかもしれない私が、
韓国語と出会ったことで世界が広がった。
韓国語を学ぶことは、一つの手段にしか過ぎません。
でも、韓国語をきっかけに
自分の人生観が変わった経験をあなたにもしてほしい。
韓国が好きな人に、もっともっと楽しい、韓国が大好き
って思ってほしい。
韓国に関する有益な情報をお届けします。